本当は名車!R33GT-Rが全く失敗作ではない理由

苦虫を噛み潰す気持ちで言うなら、グループAを始めとする国内外のレースシーンで「伝説」になったR32や、「最高傑作」と評されるR34に挟まれたBCNR33GT-R(以下R33)は、「失敗作」と呼ばれることも多い不遇のGT-Rです。

「R33なんてGT-Rじゃない!」なんて辛辣なことを言う方もいますが、元オーナーである筆者が声を大にしていうなら、R33は先代・R32を凌駕する高スペックを有し、国内最強スポーツの証「GT-R」を冠するにふさわしい傑作です。

今回は、R33がいまだに背負っている不名誉なイメージを払拭すべく、先日のツイッターでのアンケートを元に失敗作と言われる真実を紐解き、「失敗作と言われる本当の理由」を明らかにすることで援護射撃します。
正直かつての愛車への思い入れの強さが多分に影響すると思いますが、最後まで是非お付き合いください。

先日実施したアンケート結果にビックリ

今回、この「R33は失敗作」という話題を取り上げるにあたり、GT-Rファンの方々がR33に対して抱いている客観的意見を確かめるべく、公式Twitter上で実施したアンケート結果がこちらです↓

頭文字Dの影響力ハンパない!!

GT-Rファンの間で「好きだ!嫌いだ!」とよく議論になる、車体の大型化やデザインの大幅変更については納得できるものの、「高橋啓介のせい」と「広報車事件のせい」がトップ2に入ったのは、集計した編集部もかなり意外でした。

しかし、このアンケート結果のおかげで、失敗作と言われ続けるR33の名誉を回復する糸口が、多少なりと見えてきました。

【失敗作ではない理由1】頭文字Dの影響力ってすごい!でもあくまでフィクション


出典:フジミ模型

「高橋啓介って誰?」という方々のために紹介すると、彼は実在する人物ではなく大人気漫画「頭文字D」に登場する主力キャラクターであり、好きなものは愛車RX-7(FD型)、嫌いなものはコギャル・GT-R・ランエボ・デカいウィングという設定。

ことあるごとに、GT-R乗りに対して批判的な態度を取る彼ですが、中でも愛読者たちに強烈なインパクトを与えたのが、「R33なんざ豚のエサだ!」というセリフでしょう。

実はこのセリフ、本編第4巻末の書下ろしで描かれているにすぎないのですが、今回のアンケート調査では改めて頭文字Dという漫画の影響力の強さと、高橋啓介というキャラの人気の高さを痛感させられました。

しかし、いかにインパクトを受けたとはいえ、漫画キャラのセリフだけでR33が失敗作と決めつけるのは少々気が早く、正直根拠に乏しい「風評被害」としか言えませんが、とにかくR33をはじめとするGT-Rは、どれも同作品の中でケチョンケチョンに描かれています。

そもそも、原作中において主役級で活躍するハチロク・FDと異なり、R33は名前しか登場せず、「ゴッドフット」の異名を持つアクセルワークの達人で、GT-R乗りであるはずの星野好造も「あれは失敗作だ」と酷評し、すぐR32を買い戻したエピソードまで存在。

また、先代R32に至っては作中終盤、婚約者を自殺で失い自暴自棄になった「北条凜」が駆る愛車として峠に現れ、わざと他車にぶつかりクラッシュさせる、「死神GT-R」という悪役で登場します。

出典:アオシマ

GT-Rに対する作品中での扱いの悪さは、作者であるしげの秀一氏がGT-R嫌いという説もあるものの、ハチロクやFDなど高度な運転技術の習得が必要な車種と異なり、ハイスペック4WDを搭載するGT-Rは、未熟なドライバーでも峠を疾走できてしまうのが問題。

想像の域を出ませんが、安易に「最強GT-R」で峠を攻める未熟なドライバーを無くすべく、「GT-Rは峠で走りを楽しむスペックではない!」と訴えた、しげの氏なりのアンチテーゼだったのではないでしょうか。

いつの時代にも強者には「アンチ」が存在するもの、好き嫌いにしろ警告にしろ作者が自身の作品の中で「排除せざるを得ない」考えたほど、R33が想像を絶するポテンシャルを秘めていたことの裏返しであると、筆者は考えています。

ちなみに、峠を舞台とする頭文字Dではひどい扱いを受けているR33ですが、首都高やサーキットが主戦場であるもう1つの人気カー漫画、「湾岸ミッドナイト」では大活躍しているので、R33に偏見を持ってしまっている方はぜひ読んでみてください。

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【失敗作ではない理由2】土屋圭市氏ブチ切れ!「広報車事件」の真相

前述した頭文字Dでのぞんざいな扱われ方については、そもそもが架空の物語でしかないため一部ファンへの「刷り込み」の域を出ませんが、「広報車事件のせい」という理由に関しては、車ファンならだれもが知る公然の事実です。

1995年、ベストモータリング4月号の企画で、R33と他車との性能比較を目的として筑波サーキットで催されたレースにおいて、後々語り草となるこの事件は起きました。

土屋氏のマイカーR33大惨敗!!

同レースには、1969年に日本グランプリで優勝を飾るなど、「追浜ワークス三羽ガラス」と称された往年の名ドライバー黒澤元治と、92年のJTC第5戦・鈴鹿でR32を操り、悲願の初優勝を飾った清水和夫が、それぞれ広報車で参加。(黒澤・ノーマル、清水・Vスペ)

2台の広報R33に対する対抗馬として、

  • トヨタ・スープラ
  • ホンダ・NSX-R (当時サーキット最速!)
  • スバル・インプレッサ
  • マツダ・RX-7
  • 三菱・GTO&ランエボⅢ

といったそうそうたるメンツがエントリー。

合計8台で競う予定だったものの、直前になってランエボⅢがマシントラブルで出場できなくなったため、レギュラー出演していた土屋圭市氏が自身で購入・所有していたR33Vスペックに乗り、緊急参戦することになったのです。

「お!ドリキンのR33登場か!」とVHS映像(当時はまだDVDじゃなかったの!)を食い入るように見ていた筆者の期待は大はずれ、トップを独走する2台の広報R33と土屋のVスペとの速さには雲泥の差があり、なんと後方集団に埋もれてしまったではないですか。

挙句の果てには、レース途中からじわじわと土屋氏はペースダウン、結局自主的にリタイアする事態に陥ったのです。

土屋氏のマイカーVスペがリタイアした原因自体は、レース中盤から発生していた油温の激しい上昇であり、レース前の段階で広報R33にはオイルクーラー追加が公にされていたため、愛車をいたわる土屋氏の配慮だと納得。

しかし、ベストラップにおいて土屋のマイカーVスペは、トップタイムを叩きだした広報Vスペより約2秒、ノーマルR33からも約1分半遅いばかりか、ホンダ・NSXとトヨタスープラにも劣るという大惨敗を喫したのには、正直目を疑いました。

広報車はもはや別次元の車

素人(車業界にいたので少々知識はありますが…)から見ても、広報R33の方が格段に速かったことは明らかだったので、ましてやプロレーサーである土屋氏本人や他の参加レーサーたちが不信感を抱くのは当然のこと。

レース後、トップタイムを記録した広報R33Vスペに乗った清水氏はR32と比較し、「トランクションが上がって曲がりやすくなった」と言葉少なに評価したものの、黒澤氏に至っては沈黙していました。

しかし、取材の最後には土屋氏の肩を抱き「圭市の方はさ、自分で買った車(Vスペック)でしょう?僕のはノーマルで、もうコメントしなくていいと思います。」と発言し、土屋氏のマイカーVスペと広報車との間に、明かな性能差があったことを暗に示唆しました。

レース後広報車を計測したところ、事前に知らされていたオイルクーラー・ブレーキパット及び導風板の追加に留まらず、車高リア5mm・フロント・15mm下げられており、フロントキャンバー角に至っては、土屋車より1度以上角度を付けていたことが判明。

それを知った土屋氏は、「(広報車で)取材やっててすごく良かったんだよ!だから買ったんだよ2台も!(でも市販車と広報車は)全然違うジャンよ!」と大激怒した後、「市販車だけでバトルさせろ!」と要求します。

ブチギレ土屋氏・鈴鹿で筑波のリベンジを果たす!

当時、土屋圭市氏の怒りはごもっともと感じていた筆者ですが、日産側がユーザーへの背信行為ともいえる広報車の過剰チューンを認め、土屋氏が出してきた「市販車だけのバトル」への要求にすんなり答えるとは思っていませんでした。

しかし、実現しちゃうんですよ市販車による頂上決戦、すごい時代だと今でも思いますが、無差別級王者のNSX-Rと先代R32VスペⅡ、そしてGT-Rマガジン編集長が所有していた正真正銘の市販ノーマルR33と、当然土屋氏のマイカーR33Vスペが参戦。

結果的に、直線での加速性能と空力バランスで勝るNSX-Rが勝利するものの、R32を抑え土屋のマイカーR33Vスペは2位に付けたうえ、ベストラップでは最強NSX-Rとわずか0,1秒に肉薄、ノーマルR33も3位フィニッシュし筑波でのイメージを払拭したのです。

土屋氏もレース後には、「(R33は)R32と比べても進化したんだから、誇大広告なんてせずに…。」と若干気持ちが収まったようでした。

また、先代R32VスペⅡに乗車した桂は、「(前を走る)33がインをしっかりなめてるのに、同じペースで行こうとすると(R32)は外へ膨らんでしまう。」と述べるなど、参加したすべてのプロレーサーが、R32より市販車ベースでも進歩していると意見が一致。

最後に最年長の黒澤氏が、「日産が作ってるんだけど、GT-Rは我々のようなファンが育て、大切にしてきた…そこを考えてほしかった。」といった瞬間、R33を中古でもいいから買おう!と筆者は決意したのです。

少々本題からズレましたが、広報車事件とは日産サイドによる過剰チューンに対して批判すべき事柄であり、ドリキン土屋氏のブチ切れによって実現したリベンジマッチをしっかりチェックすれば、R33がR32に勝る市販スポーツだったというのが真実です。

【失敗作ではない理由3】車体の大型化・車重増加をものともしない進化

先代R32の引き締まったスタイルと比較し、R33はボッテリとしてなんだか「デブ」に見えるから嫌い、という声は多くのGT-Rファンから聞かれるものの、決してデブになったのではなく、より強度・攻撃力が増し「マッチョ」になったのだと筆者は評価しています。

確かに、ベースであるスカイラインのサイズアップに合わせ、全長が13cm伸び全体的にワイドボディー化されましたが、同時にホイールベースが10,5cm拡大した結果、加・減速時の車両安定性が向上しました。

また、フロントヘビー気味で操舵性に問題を抱えていた、先代モデルの前後重量配分を改善するため、バッテリーをリアに配置するハイトラクションレイアウトを採用したうえで、フロント・オーバーハングの軽量化も敢行。

さらに、R32の弱点だったアンダーステア対策のため、ボディーにはストラットタワーバーを始めとする30にも及ぶ補強が施され、先代では1本だったフロントサス・アッパーリンクを2本に増やしたことで、キャンパー剛性も向上しています。

その結果、車重は約100kg増えR32と同じRB26DETT(280PS)を搭載しつつも、CPU容量が16ビットに進化したことにより燃料効率がアップ、最大トルクは1,5kgm増の37,5kgmにまで増えたのです。

これらの改良により、スポーツ界初の聖地ドイツ・ニュルブルクリンク北コースで、R32がたたき出したラップタイム、「8分20秒」が「7分59秒」へ短縮する快挙を成し遂げます。(R33はプロトタイプのタイム)

ちなみに同コースの周回距離は約21km、つまりR33は1kmあたり1秒タイム縮めたわけで、短くとも300kmにわたる長丁場で競い合う、R32が伝説となったグループAにもしR33が出場したなら、5分もの大差が両者についてしまう計算に。

日産がGT-Rとしては初めて単体でのテレビCMを展開した際、「マイナス21秒ロマン」とキャッチフレーズに掲げたのはこのタイム差からであり、それを見た筆者を含む多くのGT-Rファンが、ニュルを華麗に疾走するR33の雄姿を想像したはずです。

【失敗作ではない理由4】これぞGT-R!というべきド迫力デザイン

この項では、いかんなくR33の元オーナー並びにスカイラインGT-Rのオールドファンとしてひいき目を発揮しますが、筆者は初めてR32の姿を見たとき「なんだかこじんまりとしてひ弱に見えるな…。」と感じました。(R32オーナー・ファンの皆さんゴメンなさい!)

もちろん、その後の伝説的活躍によってR32に対する評価は180度変わりましたが、R33がデビューした時、「これが本当のスカイラインGT-Rだ!」と思ってしまったのです。

なぜならR32には下位モデルである、5ナンバー2Lターボエンジン搭載の「GTS-TタイプM」が存在し、GT-Rより細身でフロントグリルやバンパー、リヤスポイラー・ホイールの意匠が違うため、詳しい方ならすぐに見分けられます。

しかしR32販売当時、巷では「Rもどきパーツ」がたくさん販売されており、それらを装着してGT-Rの象徴であるRエンブレムを張れば、なんちゃってR32が出来上がってしまうのです。

ナンバーの数字を判別するほど、優秀な動体視力を持ち合わせていない筆者は、いまだにすれ違いざまなんちゃってR32へ羨望のまなざしを向けてしまうありさまで、同じ経験をした読者もたくさんいるはずです。

その点、R33は「Rの聖域を犯すべからず」という、オールドファンの願望を見事に体現した、スカイラインの他グレードのみならず、同世代のライバル・スポーツと一線を画す、圧倒的戦闘力と威圧感を感じざるを得ない車である、と筆者は評価しています。

ただ、主観を交えず現実的な話をすれば、シャープさに欠けたことを嘆くファンも多く、C34型ローレルのプラットホームを利用して製作されたことから、「これはGT-Rではない」という声が噴出。

その結果、毎年約8,000台コンスタントに売り上げたR32に対し、R33はその半分程度にとどまっていることから、「マーケティング的」にR33は日産にとっての「失敗作」言えるかもしれません。

しかし、「デカくて男らしい!」とか「R32より居住性が良くて豪華!」といった具合に、ワイルド&ラグジュアリーなそのデザインに魅了され、乗換えや購入を決めたオーナーも多かったのも事実。

そして現在、R33の中古車相場は急上昇しており、修復歴さえなければ10万kmオーバーでも300万円以上は当たり前、条件が良い車体は500万円以上するなど、走行性能はもとよりそのデザインに対する評価は、年数を経て変化してきました。

R33が失敗作と呼ばれる本当の理由はこれだ!

さて、散々贔屓の引き倒しをしたところで、いよいよR33が失敗作と呼ばれる本当の理由を暴露いたしますが、一言で表現するとズバリ「R32が凄すぎた!」以上です。

ここまで熱く語ってきたように、「頭文字D」による評価は単なる風評被害ですし、「広報車事件」は事の顛末(てんまつ)を知れば、かえってR33が先代に劣らない傑作であることを、まざまざと見せつけられるはずです。

大型化と重量増加は先進デバイス追加などの改良により、アンダーステア対策や走行安定性向上を実現、「リアシートが狭い」との指摘があったR32の弱点まで克服し、圧倒的なスピード感と居住性を兼ね備える結果になったため、これも失敗と呼ぶにはパンチがない。

しかし、それでも神格化したとさえいえるR32の絶対的人気には遠く及ばず、第二世代スカイラインGT-Rの最終型にして最高傑作との呼び声も高いR34へバトンタッチした、「つなぎモデル」というイメージがR33にはどうしても付きまといます。

そして決定打は、R33としてJGCTへの初参戦となった95年開幕戦において、長谷見が駆るユニシアジェックスR32に僅差で敗れ、デビュー・トゥ・ウィンを飾れなかったことでしょう。(ちなみに3位もR32!)

メカニック経験から言わせていただくと、ベース車のポテンシャルを最大限引き出すセットアップが百戦錬磨のR32陣営に対し、新規参入のR33陣営はまだ煮詰まっていなかったのが敗因ながら、「R32最強伝説」が現在まで色濃く残る結果になったのです。

まさに不運、偉大過ぎる先代が存在したことこそ、いまだにR33が失敗作呼ばわりされる本当の理由ですが、R32が華麗にレースから「勝ち逃げ状態」で去った後、徐々にR33のセットアップは熟成の兆しを見せ、同年最終戦では見事勝利。

その一方、出場の公認を取るためR33をベースとした、「NISMO GT-R LM」というロードゴーイングカーを制作し、世界最高峰の耐久レース「ル・マン24時間」へ、デビュー年2台参戦しています。

星野・影山・鈴木の「ゴールデン・トリオ」が駆るクラリオンGT-Rは、一時5位を走行する大健闘を見せるも、シフトトラブルが発生しリタイア、残るClub Le Mans GT-Rに最終ドライバーは、なんとギンギラギンにさりげない「マッチ」こと近藤真彦。

見事、チームを10位完走に導いた近藤は人目もはばからず男泣き、恥ずかしながら筆者もその映像を見てもらい泣きしてしまいました。

まとめ

伝説となったR32と比べれば、レースシーンで圧倒的な速さを誇っていた、とはちょっと言い難いR33ですが、若い頃誇らしげに乗り回していた筆者にとって、唯一無二のGT-Rであり「最高の相棒」。

R32より室内が格段に広いため、走り屋小僧を卒業した後も通勤・レジャー用として十分機能していましたし、悪く言うと電子制御だらけのR34より故障も少なく、中古購入だったものの走行距離20万kmを超えても、元気に大病なく活躍してくれました。

サイズ感や、デザインについては好みもあるので仕方ありませんが、漫画の影響やネット上の評判だけで「失敗作」と決めつけてしまうのは、名車R33との出会うチャンスを逃すだけなので、「やめてほしいなぁ~」と筆者は願っています。